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右頬を思いっきりつねってみると、じんわり痛みが広がる。どうやら夢ではないようだ。
「キャラクターか? いや、編集部か?」
「キャラクターでも、編集部でもないわよ」
動揺している僕と裏腹に、彼女は落ち着いていた。
「友チョコってやつか?」
最近は女同士でもチョコレートを交換しあうらしいし。
「あなたと本以外に友だちはいないわ」
サラッと悲しいこと言ったな、おい。
「憧れている先輩?」
サッカー部の先輩に渡そうとしていたあいつらみたいに。
「あなたも知っていると思うけれど文芸部は幽霊部員ばかりよ」
「先生?」
禁断の恋ってやつか。
「違う」
「家族?」
実は、普通に家族に渡すだけだったり。
「違うわ」
「じゃあ、誰だって言うんだ! ……あ」
彼女が驚いた目でこちらを見ている。
「ごめん、急に大きな声出して」
落ち着け、僕。彼女が誰に渡したって僕には関係ないじゃないか。心臓がちくりと苦しいのは、文学バカに好きな人がいたという予想外の事実にちょっと気が動転したからであり、ショックを受けたからではない。それよりも大事なのは目の前の原稿だ。一刻も早く仕上げなければ。平常心、平常心。
だが、執筆活動を再開しようとしても今の頭は到底使い物にならなかった。話を考えようとすると、恋する気持ちを語る、あのうっとりした声が繰り返し再生されるのである。
仕方がないから僕は彼女という物質をだらしなく、ぼんやり見つめていた。視覚的、聴覚的情報が脳内で整理できないまま、僕を突き抜けていく。
彼女からチョコレートをもらった男は、きっと彼女に恋してしまうんだろうな。
長くてしなやかな黒髪。二つくくりの髪型に青い眼鏡と幼さを残した小さな体が、まだ何物にも染まっていないのだと主張している。
文学バカでさえなければ、彼女はそこらの女子たちより何倍も何倍も可愛い。
違う。僕は嘘をついている。
彼女は文学バカだったとしても十分――
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