レディビートル

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あれは半世紀も前の話だ。若造のわしは東京の自動車メーカーで営業マンとして駆け回っていた。わしにはむいてない仕事でな、成績が伸びず、上司には怒られるばかりか、なにかと難癖をつけられ、いびられた。 仕事の鬱屈は音楽で発散していたな。意外そうな顔をしておるが、従兄弟と一緒にバンドを組んだりしたんだぞ。そう、あの克哉ジイさんだ。わしはカツ兄と慕っておった。グループサウンズからシャンソン、ロックまで幅広く聴く男で、コンサートにもよく連れて行ってくれた。 中でも忘れられんのがフランス・ギャルの来日公演だ。知らんか。『夢見るシャンソン人形』と言ったらわかるか? 人気のアイドル歌手でな。カツ兄はその娘のファンで、わしも好きだった。白状すると、職場で気になっている女性に少し似ておった。さっき話した嫌な上司からかばってくれたことがあってな。彼女はビートルズの大ファンで間近に迫った来日公演に行きたがっていた。ギャルの来日公演にはもう一つの大きな魅力があった。会場でビートルズ追加公演のチケットが販売されたんだよ。一番手頃な席で千五百円。映画が四百円で見られる時代だ。安くない。だが、無理して二枚買った。勇気を出してその女性を誘い良い返事をもらった。 すぐにその日は訪れた。ビートルズ来日三日目の七月二日。わしはそわそわして約束の二時間前に待ち合わせ場所についた。 ところが、彼女は時間を過ぎても姿を見せない。ルーズな性格でないことは知っている。やきもきしていると、赤いスバル360がすごい勢いで走ってきて、目の前に止まった。見知らぬ青年が降りてくるなり、わしに言った。彼女が大変なことになっているからついてこいと。訳もわからず助手席に乗り込んだ。なぜか青年に疑いは抱かなかった。それより不思議に感じたのは、車の前を一匹のてんとう虫がまるで道案内をするかのようにずっと飛んでいたことだ。
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