25人が本棚に入れています
本棚に追加
/95ページ
生きていることはすばらしい。しかし、生きていくことはこの上なく煩わしい。
生ある瞬間に感謝し、生ある未来に穏やかな絶望を抱き続ける。
それが、わたしの立っていた場所だった。
その朝、鉛のような布団の下でぼんやりと考えていたのも、大体はそんなことだった。さすがに世紀の名言集には載らないけど、町内会の掲示板になら載ってもいいかもしれない。
誰かが三分間くらいは同情してくれるかもしれないし、運が良ければお粥でも届けてくれるかもしれない。
その週末、私は三年ぶりに風邪をひいていた。頭に雨を吸い込んだ砂を詰め込んだような感触がする。顔中の皮膚が砂漠と化したようにひっそりとした重さを帯び、息苦しい。
それでも朝はやってくるし、枕元に控えた目覚まし時計はいつもより少し気遣わしげではあったものの、やはり七時きっちりに判決を下した。
私は目を閉じてアフリカの大草原を思い浮かべる。厳しい表情で私の横を通り過ぎていく乾いた風、前だけを見て揺れる足元のぱさぱさとした草。ここでは何も立ち止まらない。立ち止まる場所もない。
そんな風景のイメージを体の中に注ぎ込む。そのひんやりとした感触がこぼれないように慎重に、私は目を開けた。
会社に行くことはそんなに苦ではなかった。先週のうちに今回の仕事のめどはついているんだし、この間隣のデスクの由紀子が風邪を引いたとき彼女の仕事を手伝ってあげた貸しがまだ残っている。とにかく一日机に向かっていられさえすればいいのだ。
それでもまだ体は動かなかった。やれやれ、と乾いたため息をつく。身体がうまくこの感触と重さを受け入れることができないのだ。この前風邪をひいたのはいつだっけな、と考える。
でもその答えはすぐに引き出せるところにちゃんとある。三年前だ。
ある時期から私の中の時間というものは流動性を著しく欠いている。それは大きさこそさまざまであれ、それぞれに分断された塊の集積に過ぎない。私はそういう雑多な塊を、押入れに詰め込んでぴしゃりと封をするように、記憶といういびつで不確かな容器の中に詰め込んでいるのだ。
ある時期。
その地点をここから正確にとらえることはできないし、そんな意味もない。それも流動性を欠いた時間がもたらした何らかのもつれの波及なのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!