Ⅱ章 西君が語るいくつかのこと

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1 木田さんの話 驚き 木田さんのことはすぐに思い出せた。 彼女が追い詰められたような靴音を響かせながら駅のホームを歩いてきたときに。彼女は肩までのきれいな髪を揺らしながら、凛とした、涼しげな顔に微かな苛立ちの色を浮かべている。(そしてひどく体調が悪そうだ。) 僕はそんな彼女を見て、すぐにそれが木田さんだと思い当たる。そしてその事実は僕に少なからず驚きを与える。彼女はぼくにとって「向こう側」にいるはずの人だからだ。つまり、僕が弟のミナミと出会う前の記憶の中に。「向こう側」の時間のことを、僕はもうほとんど思い出さない。それは意識的にかもしれないし、無意識的にかもしれないが、どちらでも別にたいした違いはない。 でも僕は事実として木田さんのことをすぐに思い出した。なぜなのかはわからない。もともと考える作業はあまり得意でない上に、木田さんとの接点がごく僅かなものであることを知っていたからだ。いささか不自然ではあるのだが、僕はそのことをうれしく思った。彼女は何かに対してひどく混乱しているようにも、怯えているようにも見えたが、にっこりと笑った顔はとても可愛らしかった。
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