第十章:ミルトランダの少女

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 くっくとヴェスカは思い出し笑いをした。 前回のリドランに赴く前、浮かれて馬を走らせていくロシュを注意するオーギュを思い浮かべるリシェ。 「ふふ」  簡素に纏めた旅用のリュックを馬に括りつけ、落とさないように縄で縛りつけた後、ヴェスカは先に背に乗った。 「よしよし、いい子だ」  手綱を取り、やや荒ぶる馬を宥める。  リシェは馬を真っ直ぐ見上げて鼻先を撫でた。 「そんなに怖がるな。旅先では沢山休ませてやるからな」  黒味がかった光沢を持つ馬は、ブルルと鼻を鳴らしてリシェの頰を擦る。宥めた甲斐があったのか、次第に懐いてきたようだ。  ヴェスカはリシェに手を差し伸べ、乗るように促す。 「よ…っと」  軽々とリシェを自分の前に乗せた後、「準備はいいな」と聞いた。 「あまり馬を急かすなよ。危ないから」 「分かってるって!」  最初はゆっくりと歩かせながら鳴らす。地面と蹄がぶつかる音が心地良く耳に入り込んできた。  街から離れ、人の通りも薄れて来た辺りでヴェスカは馬に走るよう合図する。同時に程良いスピードで彼は頑丈な脚の力を見せつけてきた。 「おっ…ほ!いいねいいね!でもあまり無理するんじゃねえぞー!スタミナ切れしちゃうからな!」  ヴェスカに支えられながら乗るリシェは、走り出した馬の背を軽く撫でながら遠くに見える大聖堂側に目をやった。  …ロシュ様。  少しの期間だけでも、離れてしまうのは寂しい。  彼の優しい笑顔が今から恋しくなってしまう位、リシェの心はロシュに占められている。  なるべく早めに戻らなければ、と寂しさで締め付けられそうになる胸を押さえた。  面会希望を受けたロシュはそれまでの仕事を一旦止め、先にオーギュが押さえていた来賓客用の応接室へ向かっていた。  大聖堂の中にある一室へ近付く度、重い足取りになっていくのが分かる。理由は明らかだ。  相手はきっと、リシェと関係のある人間。 ウィンダートと名乗っている事から、確実にリシェの肉親だ。  いずれは顔を合わせなければならない相手だが、まさか向こうから訪ねてくるとは思いもしなかった。  リシェ本人がアストレーゼンの剣士になる事を希望していたとは言え、自分はそんな彼を拘束した状況に置いているのは明らかで、彼の身内から非難されても文句は言えない。  どのような苦情でも反論の余地は無いのだ。  人々が行き交う大聖堂内を進みながら、ロシュは緊張感に苛まれつつ先を急いだ。  …どうせその内、会わなければならない相手なのだ。  長い廊下を進み、相手が待つ応接室の前に立った。  大切な客人をもてなす為の部屋の扉は、豪奢な彫り込みがあり、重厚感が溢れていてどっしりとした壁に見えてしまう。  ロシュは深呼吸した後に、その扉を軽くノックをする。  間を置いて返事を確認し、ゆっくりと真鍮製のドアハンドルを握り扉を開けた。  日光が室内一杯に入り込んだ応接室。  ふわりと気品のある匂いが鼻を突く。  中心に置かれているベルベット色のソファに腰を下ろしていた紳士はゆっくり立ち上がり、ロシュの姿を見ると帽子を手にしたまま深々と頭を下げた。 「お初にお目にかかります、司聖様。私、ロストラル=アリーセ=ウィンダートと申します。こちらで、私の身内がお世話になっているという噂を耳にしまして」  齢五十半ばといった所だろうか。  彫りが深く、銀の眼鏡が掛かったままの鼻も高い。黒と白が混じり合った髪を後ろに綺麗に流して整えている。  身長も自分と同じ位で、すらりとした体を品の良いスーツ姿で包んでいる。若い頃はさぞ美形だったろうと思った。  ロシュはごくりと唾を飲み込む。
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