22人が本棚に入れています
本棚に追加
「個室、大丈夫なの?高いんでしょ」
入院の手続き、病室へ必要なものを届け終えた帰り道、母が運転する車の助手席での第一声に、みさ子は自分でも少し冷たさを感じた。
母は、学校からしきりに電話がかかってくるからという父の言い分と、そこそこ良い保険に入っているから入院費は心配なさそうということを淡々と教えてくれたので、気持ちはすぐに平生に戻る。
当の父の表情も実に淡々としたものだった。ベッドに腰掛け、家から持って来たフリースを羽織り、まるでホテルのチェックインを行っている面持ちで看護士から病棟での注意事項など入院の手ほどきを受けていて、病人であるという実感をみさ子に与えなかった。
説明を終えた看護師に深々とお辞儀をする角度が整っていた。教師という職業は皆礼が整っている。それがみさ子の印象だった。
今日は、特別な1日だろう。けれど、明日からは特別にしようがない毎日が始まるのだろう。
最大限の皮肉が浮かんだと同時に、みさ子は父のことを哀れに思った。
真新しく飛び込んでくる個室の空間。ベッドのすぐ横にはテレビがあって、目の前には波打つ浜辺の水彩画があって、窓からは片側3車線の幹線道路に車がせわしなく行き交い続ける景色。真新しく写るのは今日に限っての話だ。
毎日が特別であると標榜し続ける男の世界はこんなカゴに入れられかっちりとカギがされる。
特別の住処が見当たらぬ場所だ。
最初のコメントを投稿しよう!