真・バレンタインデー

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 西方教会系のカトリックやプロテスタントの伝承によると、その頃のローマ帝国内において2月14日は家族と結婚の女神ユーノーの祝日であり、翌15日の豊穣を祈るルペルカリア祭では、普段別々に暮らしていた若い男女がお目当ての相手と一緒に過ごし、多くの者はそのまま結婚するということが慣習となっていたが、愛しい者を故郷に残すと兵士の士気が下がると、皇帝クラウディウス2世はこれをを禁止したと言われている。  当然、その禁令に嘆き悲しむ兵士達へ救いの手を差し伸べたのが、キリスト教会の司教であったウァレンテイヌス――その後、殉教して聖人に叙せられた聖バレンタインだ。  彼は兵士達の禁じられた結婚式を密かに執り行っていたが、その噂はやがて皇帝の耳へも入ることとなり、怒ったクラウディウス2世は二度と行わないよう彼に命じた。  しかし、ウァレンティヌスはその命に従おうとはせず、最後は絞首刑に処せられて天に召されることとなる。  クラウディウスのあてつけか? その処刑の日はあえて〝結婚〟の女神ユーノーの祝日である2月14日が選ばれたが、そのために教会は聖バレンタインを記念した聖人の日をこの日と定め、また、その生涯にちなんで彼が〝恋人たちの守護聖人〟になったことから、(セント)バレンタインデーは「恋人の日」にもなった……  と、まあ、これが一般的に云われているその由来だ。  もっともこの話は史実ではなく、ローマ帝国の国教と定められた後、祭礼から異教的要素を排除しようとしていた初期のキリスト教会が、うまいことでっち上げたものである可能性の方が高い。  やみくもに禁止してもただ無駄に反発を招くだけなので、女神ユーノーの祝日とルペルカリア祭という異教起源の祭を、キリスト教の聖人ウァレンティヌスゆかりのものに書き換えたというわけだ。  それは、もともとは冬至の太陽を崇めるソル・ウィンウィクトゥスやミトラス神の祭であったものを、キリストの誕生日――即ちクリスマスへ変化させたのと同じである。  また、東方正教会(オーソドクス)系の教会においては、そのように聖ウァレンティヌスの記念日を〝恋人〟と関連づけるようなことはなく、こうした傾向はなぜか西方教会系の国々でのみ見られるのであるが、ともかくも14、15世紀頃からそんな話が広く語られるようになったらしい。
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