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苦痛は待たずとも自然にやってくるものだ。これは娑婆でも天人でも同じことだ。娑婆は、やるべき事をしなければ後で痛い目を見るし、天人は幸福過ぎる生活をしていれば天人五衰で苦痛を味わう。これは生きる術での定めなのだ。僕は「苦痛を味わう」のが怖い。できる限り、味わいたくはない。今は幸せでも最期に醜く滅んで高確率で地獄行きだなんて考えたくもない。娑婆は修行をし、悟ることが出来れば「極楽浄土」に行けるが…。我々の場合はどうしたらよいものか…。
僕はふと、お釈迦様は兜率天から人間界に下生しようと考え、白象に乗り摩耶夫人の腹に宿ったという話を思い出した。そして何故お釈迦様は人間界に下生しようとしたのか…。僕は推測した。やはり、娑婆と同じように、悟りを開いて解脱をしたかったからなのではと。ああ、そうか。ならば、僕も下生すればよいのか。いつ苦痛がくるのかわからないのが怖いんだ。だから先に自ら苦痛を味わえば、それ以降、更に苦痛を味わうことはない。死が来る前に、悟りを開くのか!素晴らしい!なんて素晴らしい考えだ。僕は自惚れた。
しかし、どのように「苦痛」を体験するか…。ある人の話では、生死を彷徨う位の致命傷を受けて奇跡的に生き延び、その後の人生、つまり、「今自分が生きている事」に安心や幸福を感じるようになったとか。いや、でもそれは真似をしないほうがいい。リスクが高すぎる。娑婆は心臓か脳を矢で少し傷つけただけで動かなくなるのだから。娑婆って脆いな。やっぱり人間界に行くのは…いや、そしたら確実に僕は軽蔑されながら醜く死んで、目が覚めたら地獄だなんて…。でもすぐ死んでしまう娑婆になるのも…。葛藤が僕を苦しめる。しかしこの葛藤の苦しみは苦行には入らないので無意味な行為である。ええい、ままよ。僕は下生するぞ。下生して、少なくとも転生後地獄に行かないように善行を積むぞ。僕は決心した。
だが、次の問題だ。どのように善行を積むのか。僕は刀利天の中でも心情的な意味では劣等生の方だが、知恵や頭脳的には優等生だ。この時の為に人間界の事について調べてきたんだ。どうだ、偉いだろう。どうやら僕にピッタリの問題解決するべきジャンルは「政治経済」だ。
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