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「え、だってお父さんが……」
当然のことながら、リーリヤのそんな誘いは少年に通用しなかった。幼子にはまだ、親の存在が世界のほぼ全てを占めている。彼には想像などしようもないのだ、そんな親が自分の敵になりうる存在なのだということなど。
しかし、少年の瞳は翳っている。
リーリヤは、そんな瞳を真正面から見据える。少年の翳った瞳が、微かに揺れる。
「でも、坊やのお父さんはこの数日、あなたを迎えに来てくれていないわ」
事実を述べる。
たったそれだけの行為で、人の心は折れてしまうこともある。
リーリヤは、魔法を身に着けてからの数えることすら億劫になってしまった年月の中でそのことを学んできた。自身の傷から、他者の傷から、事実がどんな刃よりも容易く人を貫くことを、学んできた。
数多くのものを、救ってきた。
数多くのものを、殺めてきた。
数多くのものを、捧げてきた。
数多くのものを、奪ってきた。
少年の瞳に映る、まだ父が来てくれるかも知れないというこじつけじみた希望を摘み取ることだって、そのうちの1つだ。
胸は痛むが、仕方のないこと。
過去何十年も繰り返された行為だ。
「でも、来てくれるもん」
「いいえ、来ないわ。お父さんの声は聞こえた? 村人たちの足音は? 今なら、このくらいの大きさの森なんて簡単に捜せるはずなのに、どうしてあなたのお父さんはここへ辿り着けないの?」
「きっと来る、だって僕はいつだっていい子だったんだから!」
「いい子にしてたって、来ないものは来ないの!!」
それなのに、どうしてこんなにも心を乱される?
この程度の駄々なんてすぐに収められたのに、どうして自分まで同じように言い返す?
リーリヤは、自分の中に確実にある違いが恐ろしくなった。今までなら何の気負いもなく甘言を並べ立てて森で迷った幼子を篭絡してきた。もちろん、拾った以上は面倒を見る。しかし例外なく、甘言の嘘は見破られ、逃げようとした子等は皆、獣に屠られる。その亡骸を庭先に葬って、またひとりに戻る。
その最初の段階でしかない今、何故ここまで……?
悩みながら、恐れながら、リーリヤは幼子の瞳をもう1度見つめる。
徐々に影を濃くしていくその瞳は、青みがかった灰色で。
どこか懐かしい胸の痛みが、はっきりとリーリヤを襲った。
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