《上》    第一章 鮫島新 ・ 1

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《上》    第一章 鮫島新 ・ 1

 高校三年目の春。  進路指導の用紙に何度目かの志望校を記入し、担任へと提出したのは学力テストを終えたあとだった。 「鮫島(さめじま)、どこ志望?」  文芸サークルの仲間である灰田千晶(はいだちあき)が学生鞄を持ってやってくる。 「俺はM大」 「俺はI大。離れるんだな」 「そんなもんじゃない? 同じところへ行く方が稀だって」  俺はリュックに教科書やノートを詰め込んで辞書はどうしようかと迷い、引き出しに置いていくことに決める。 「友だち甲斐(がい)のない奴」 「大学が別々でも生きてれば会えるじゃん」 「そうだけどさ。もっとこう。寂しいとか、寂しいとか、寂しいとか」 「はいはい。灰田と離ればなれになるなんて寂しい寂しい」  桜の花びらが窓から風に乗って教室に舞う。  伸びた前髪の隙間から青い空が見えて俺は息を吸い込んだ。  空って青いんだったな。  いつまでも見ていたいような、見ていたとしても何も得られないから視線を逸らしたいような。 「どした?」  聞き慣れない声がすぐ上から振ってきて肩が跳ねた。  藤枝鳴介(ふじえだめいすけ)のテーピングだらけの指が予告もなく俺の手に触れてきて、ぎょっとする。 「なに?」 「花びら」  ほらっと藤枝が掌を開く。  薄桃色の花弁はまったく傷ついていなかった。 「これからクラスのみんなでカラオケ行こうってなってんだけど、鮫島と灰田もどう?」 「俺はパス。妹の面倒みなきゃいけないから」  灰田が首を左右する。 「俺も」  灰田が行かないなら居場所ないし。 「そっか」  藤枝は残念そうに振る舞う。  本当はどうでもいいって思ってるくせに、名演技だな、ほんと。 「鳴介、行くぞ!」 「おお!」  藤枝は中学のときから変わらない。  凜とした立ち姿も、やさしい物腰も。  そして、きっと平気で人を裏切るところも。  クラスの人気者を拝んでいると目が合った。 「心変わりした?」  親しい友人のように笑いかけられ、気持ちがほぐれる。  この笑顔に騙されるんだ、いつも。  苦い記憶ってのは忘れたくても残っているもので、ときどき、それは声までもを脳が再現してくれる。  イヤな言葉。  藤枝を信じていたからこそ、余計。
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