一年に一度の特別な日だから

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誰の目にも明らかな、いや"鼻に"甘い香りが漂う。その真ん中で「今日は特別な日なのよ」と歌うように囁くのはまだ若い、幼さすら垣間見える女性。不思議と優しげで、慈愛に満ちた声だ。 漂う香りの正体はスポンジケーキの焼けるにおい。幸福感、期待感、高揚感……とにかくわくわくして、涎が滲む。スポンジだけ、ただ焼いただけのスポンジケーキだというのに。 焼き上がり冷ましたものを手慣れた仕草で丁寧に真横に切り分け、開く。その職人のような技と小柄な背中にちぐはぐしたものを感じる。しかしそれも、漂う甘い香りに鼻をくすぐられるとどこかへ消えた。 きめ細かい気泡の一つ一つに込められた幸せの甘い香りは、華奢なフォークでスポンジを切り崩す様を想像するだけで、口のなかで涎の洪水が起きそう。 二つに切り分けた丸いスポンジケーキの、焼き目がつき膨れ上がった側を慎重に切り落とし、凹凸のない断面を作る。 小さな切れ端を、つまみ食い。舌の上で蕩け、その瞬間広がる焼き立ての芳ばしい香り。思わずこぼしたため息までもがまた、美味で。つい、もう一口とつまむ姿に共感を覚える。 両目を閉じて浸りたくなる、しあわせの瞬間。
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