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「演じるんだよ。良い人を。最初は演じるだけでいいから。で、相手を嗤ってやればいいのよ。表面的な親切で、騙されてやがるってね。でもね、そのうち変わってくる。演じているうちに、それが本当になっていく」
栄貴より五歳年上の女は、達観したような微笑を浮かべて、シガレットケースから新しいタバコを取り出した。
栄貴は灰皿に視線を落とす。すでに三本吸い殻が入っている。
「もうやめておいたら」
自然と口を突いて出た科白。まるで自分の決意を後押しするかのように。
「え?」
樹里が聞き返してくる。不可解そうな顔をして。
いつもは吸わせたいだけ吸わせている。副流煙が気になるなら、最初から彼女と仲良くしたりはしない。
「タバコ辞めろって言ったんだよ。母親になりたいんだろ」
今日が返事のリミットだった。樹里には二か月待ってもらった。それぐらい、考える時間が必要だった。
「――それって」
樹里の顔がぱっと明るくなった。指先からタバコが落ちる。
栄貴は頷いた。
「いいよ」
その一言で、彼女は分かるはずだ。
「ありがとう。本当に、ありがとう」
万感をこめて彼女が言う。栄貴を見つめる瞳は、涙で潤んでいる。
他人に嬉し涙を流させることなんて、今まで一度もなかったな、と栄貴は思った。
感謝されるのも、悪くない。
「ちゃんと約束を守ってくれるなら」
「守るよ。絶対守るから!」
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