割れたハートの行方

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 普段助けている礼として仕方なく送り届けられたものなのか、ただ謝礼に期待するだけの勘定に入れられたか、それともその返答がどのようなものかで態度を改めるつもりなのか――考えていては埒があかない。  そもそも現代において<義理>という言葉はあまり聞かない。NHKの大河ドラマで「義理は通す」と鎧甲冑の彫りの深い武士が告げるような場面でしか聞き覚えはない。  それだったら現代の同姓に配るような<友チョコ>のほうが幾分か理解がしやすい。イベントに乗じてプレゼントを交換しあうという心理は友好の延長線上として考えられる。  さらに来る一月後の三月一四日。この日はもらった相手に返礼するという習わしだ。が、心理的に見てこれはどうなのか。  もちろん尽くされた礼は返さなくてはならない。だが複数にまたがれば自ずと友好度の違いも出るだろう。個人にあわせて物品の質を決めるのか。それとも全員同等の価格に抑えて義務だけを全うするのか。これこそ義理だと思う。  こんな無駄な考えを巡らせているのは負け組の論理だ。そんな冷えた目線が突き刺さるような心境を感じないわけではない。  俺だって別に好きでこのような話題を続けているわけではない。友人がことあるごとにこの日の話題を出すために自然と思考に上ってしまうのだ。     
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