彼がわたしを癒そうとするので助けてください。

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 2月14日。  世間はピンクや赤と華やかに彩られ、街行くひとはどこか浮足立っている今日この頃。  彼女の周囲だけは、どんよりと暗い空気が渦巻いていた。  烏のように黒い髪は顔を覆うほど長く、僅かに覗く口元は小さく動いている。 「渡して逃げる。渡して逃げる。渡して逃げる」  呪文のように同じ言葉を繰り返す彼女が胸に抱いているのは、鮮やかな赤い包装紙に包まれた小さな箱。  まるで縋るようにそれを抱きかかえ、鋭い眼光で前だけを見据えている。 「……きぃぃったっ…!」  両目を限界まで見開き、前から颯爽と歩いてくる男を見失わないよう頭からつま先までじっくりと見つめる。  太陽の光を受けて輝く明るい髪が風に揺れ、迷いのない足でその大柄な身体を前へ前へと運んでいる。 「はぁ……っ、今日のゆうひくんも愛おしい」  ぴょこんと跳ねた寝ぐせにすら愛おしさが募り、箱を抱えた手にぐっと力が入った。  不吉な音とともにつるりとした包装紙に大きな皺が寄ってしまった。  それに驚き、あろうことか手から放り投げてしまった。  見事な弧を描き、ぐしゃりと地に落ちる赤い箱。 「はぁぁぁぁ……! ゆう、ゆうひ、ゆうひくんのチョコチップクッキーが……!」  ホラー映画の幽霊女よろしく黒髪を振り乱し地面を這いずる彼女に、通行人は飛び退き次々と絶叫が響き渡る。  恥ずかしさなどなんのその。  箱だけを見つめる彼女の手があと数センチまで迫った瞬間、無情にもそれは視界から消えた。 「ああっ……!」    箱を追いかけ視線を上へと向け、彼女はビシリと固まった。 .
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