ガマズミの花が揺れる時

2

「鍵を拾った時、正直迷ったよ。家に時仲くんが、よく来ているのも知ってたしね」
「えっ？」
「たまたま、鍵をアパートの前で拾ってね。一旦、交番で保管してたんだ。その後、君が部屋の前で慌てているのを見てね」
　あの時、交番に届けられたのだと思っていた。稔さんも、アパートの住民が拾ったと言っていたので、そうだと思っていたのに……。
「こっちに取りに来るのを待とうかとも思ったんだけど……寒い中、いつまでも可哀想だなと思って……つい」
　稔さんが苦しそうに顔を歪める。ということは、もし、あの時僕が鍵を落とさなかったら、ずっと稔さんのことを知らなかったという事になるのか。
　僕は複雑な気持ちになる。出会わなければ、お互いに辛い思いをせずに済んだかもしれない。でも、稔さんの気持ちは永遠に、宙にぶら下がったままだっただろう。
「まさか、君の方から僕に興味を持ってくれるとは思ってもみなかったけどね。それ以前に、家に上げるなんて相変わらずだなと思ったけど」
　稔さんの表情が少し柔らかくなる。
　僕は思わず、頬が赤くなってしまう。警戒心がなさすぎると、将希に怒られたことを思い出す。
「見守り続けると誓ったはずなのに……。どうしても、我慢できなくなってしまった」
　稔さんが僕の手に、自分の手を重ねてくる。稔さんの手は冷たく、震えていた。
　僕の事を切なげな表情で見つめてくる。
　僕は息が詰まったように苦しくなる。確かに、異常な行動をしていることには、間違いない。それでも、僕の事を気遣う気持ちは伝わってくる。
　だからこそ、この手を払い除けて、部屋から追い出すことが出来ないのだろう。
　それでも僕は何を言うべきか分からず、言葉を発することが出来ない。
「ごめんね、玲くん。黙ってて……。君が怖がるのも、無理はないよ」
　そう言って稔さんの手が離れていく。
　その手を掴もうかと、逡巡しているうちに稔さんが立ち上がってしまう。
「今までごめんね」
　稔さんはコートを手に持ち、部屋から出ていってしまう。
　僕は止めることも出来ずに、その後姿をただ呆然と見つめた。