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「沢口くん、こっち、こっちー」
飲み物を受け取って戻ろうとすると、横井さんに腕を引かれた。男女5、6人が輪になって盛り上がっている。
「私は、営業の矢田です」
「マーケティングの沢口です」
「沢口さんは、優良社員賞を取られたので、お顔はわかりますよ」
「ありがとうございます」
「でも、同じ建物なのにお会いするのは初めてですねー」
「ほんとですね」
数人の男女と部署と名前を交換し合って挨拶を交わす。
「いつも食堂でお会いしますね。私、沢口くんのファンなんです。相川です。よろしくお願いします」
「え、僕ですか?」
社員食堂でよく見る顔だ。法務部だということがわかった。笑いながらファンだと言われると、お世辞のような、嘘のような、信じがたい。
「沢口くん、私の情報筋からすると、沢口くんのファンって人、結構いるみたいよ。なんかほっとけないっていうか……わんこ系かもね」
「わ、わんこ系ですか……」
自分にファンがいると驚き、頬が熱くなっていく。また、横井さんに、わんこ系と初めて言われて、こそばゆいが、悪い気はしなかった。
「あと、同期の葉山くんも……」
「葉山も?」
「隠れファンが多いらしいのよ。優しくて頼り甲斐があるって…… ほら、葉山くんの周りも人だかり」
横井さんが指差す方向に、数人の女性に囲まれている葉山が目に入った。
なんだよ……ニヤつきやがって
誰もが口にするのは、『優しくて、頼り甲斐がある』だ。確かに、葉山のバイクで取引先に行ったときに感じた。今まで嫌な奴だったと思っていたのは何だったのだろうか。
自分とは違う評価に、羨ましさと憧れの心境とが複雑に絡み合った。
真向かいの人の肩越しに葉山の笑顔を盗み見る。
俺にはそんな顔見せたことないくせに——
今までの自分に対する葉山の態度を思い出すと、少し、ムカつく自分がいた。
「葉山って優しいっていいますけど、自分には全然優しくないんですよ。いつも、憎まれ口叩かれてたんで、僕って嫌われてたんですかね……」
つい、横井さんに愚痴っぽく本音を漏らしてしまった。
「なるほどね……そっかー」
横井さんは少し考えてから、なにやらひらめいた様子で
「沢口くん、それって、好きな子をイジメたくなるっていうやつだね。そうか、やっぱり……」
とひとり納得している。
「はっ、好きな子!?」
酔いも相まって、思いもしない言葉に心臓の鼓動が上がる。
「だって、後ろの席からいっつも沢口くんのこと見てるじゃない。知らないの? あ、後ろだからわからないか」
「何を言ってるんですか!?」
「私の席から良く見えるのよねー。何気なく葉山くんの方を見ると、誰かをじっと見つめているから、誰かなーとその視線の先を辿ったら……沢口くんだったというわけ」
「そんなの偶然ですよ……」
「沢口くんが笑ったり、忙しくしてたり、困ってたり……いろんな沢口くんを見つめてるって感じよ。葉山くんって好きな子には案外逆なタイプかもね、うん、そう、そう」
「僕の粗探しをして、皮肉を言ってやろうか伺ってたんですよ。絶対」
「いやに、突っかかるわねえ……」
自分でも、何で突っかかっているのかわからなかった。
「いや、あの目は、沢口くんにほの字ね。私の勘って当たるのよ」
横井さんが耳元で囁くように言った。
「ちょ、何言ってるんですか、横井さん。男同士ですって……」
「そうねえ、イケメン同士か……女子はショックするかもねえ」
いや、いや、自分が言いたいのは、そこじゃなくて——と心の中で、ツッコミを入れる。
「とにかく、葉山くんはいいやつなんだからさ、最高じゃない! 他人の目なんか気にせず頑張んなさい!」
何をどう頑張るというのだろうか。
横井さんは、『男同士』という単語を全く気にも留めないという表情で、ドンと背中を叩いた。
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