第1章

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俺と死神の独り言  ピュウー、ピュウー、ピュウー、ピュウー……寒い風と連れだって、細かな雪がパラパラパラパラ……と吹きつけてきた。身を凍らせる薄ら寒い一階の通路で、ただ一人で、返品作業をB/R――一般には、バックルームと呼ぶスーパー、百貨店等のお客様の立入れない作業場――で黙々と続けていた。  他人からすれば、ささやかに思えるだろうが、俺にもでっかい夢がある。  それは、愛車を完璧にすることだ。  そんな折、ピロン、ピロン、ピロン、ピロンとメールが来たが、元々携帯電話は、ほとんど信用と興味の対象外であった為、着信履歴を確認しただけで、すぐさまその内容は削除した。長兄からで、メールの内容は容易に想像できるからだ。  両親は岡山にて健在で、代々庄屋であったが、お祖父さんがなかなかやり手で、終戦後の農地解放をうまく潜り抜け、今でも多くの土地と山林を所有している。兄は、地元の名士であり、叔父さんは県会議員を勤め、父は町長を四期十六年の長きにわたって勤めている資産家だった。  農地解放を簡単に説明すると、千九百四十七年、GHQの指揮で日本政府により行われた農地所有制度改革である。最高司令官マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行い、地主が保有する農地を政府が強制的に安値で買い上げ、小作人に売り渡されたのである。  資産家のせいだろう。我が家は特に名誉を重んじており、両親とも教育熱心で、長男と二男は一歳の年齢差であり、二人は日本の最高学府に現役合格していた。長男は、在学中に難関といわれる司法試験に見事受かり、医学に興味を抱いていた為もあって、国家の力強い優秀な下僕になろうと、厚生労働省に入省して辣腕を振るっているらしい。  二男は、天才肌でもあり奇人にも見えるが、東大をトップで卒業し直ぐにアメリカに渡り、全世界から峻才の集まる私学であるハーバード大学をわずか二年で卒業し、実業界に十年ほど身を置いた。後に、ハーバードビジネススクールで猛勉強し首席で卒業、なおかつ、ビジネス専門誌に掲載した論文が、エール大学の某有名教授の目に止まった。エール大学より博士の称号を賜り、今は、外資系の銀行で思う存分手腕を発揮しているそうだ。著名な銀行の頭取を目指して、驀進中≪ばくしんちゅう≫なのだろう。
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