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──それは、リュミエールがまだ独身の頃。
一人の妻も娶っていない頃の話である。
町の大通りで、荷馬車がバランスを崩し、農作物を積んだ荷を道路にぶちまけてしまった。
茶褐色の道路が、瞬く間に緑やオレンジ、赤の模様の絨毯になる。
たまたまその場に居合わせたヴェルデは、荷を拾う作業を手伝っていた。
無心に足元の果物に手を伸ばすと、同じ物に伸ばすもう一つの手があった。
二人で一つの物を同時に掴んでしまった形になる。
ヴェルデは慌てて手を引き、その相手に恐縮して頭を下げた。
「いえ……こちらこそ、失礼」
優しく会釈するその相手を見て、ヴェルデはすぐにルッヒト家のリュミエールであると気づいた。
二人が同時に手に取った物は、緑色のリンゴだった。
リンゴを軽く持っては荷馬車の主にそっと返すリュミエールの仕草を、ヴェルデはただただ静かに見つめていた──。
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