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「──もちろん、これはあの時のリンゴではありません。あれ以来、毎日こんなリンゴを買うようにして持ち歩いていたのです。それが私の、ささやかな心の支えでした」
ヴェルデは小さく笑った。
そして、もう一度首を横に振る。
「私はルッヒト家を恨んでなどいません。没落は、時代の流れだったのです」
そう答えて、穏やかな笑みをたたえる。
「私はリュミエール様に初めて出会った瞬間、胸が高鳴り不思議な感覚にとらわれました。先ほど、何故あなた様に嫁いだのかとお尋ねになりましたね。──強いて言うなら……」
──と、ヴェルデは近くにあった果物ナイフを取り、緑色のリンゴを半分に切った。
「……そう、健やかなる時も病める時も──こうやって、リュミエール様とリンゴを半分に分け合って食べてみたいと……。そんな人生を歩みたいと、夢に描いたからかもしれません」
そう言って、ヴェルデはリュミエールにリンゴを半分差し出した。
「…………」
リュミエールは、黙ったまま半分のリンゴを見つめた。
「……理由は、それだけなのか?」
「はい。それだけです」
「…………」
事もなげに答えるヴェルデの手から、リュミエールはおずおずとリンゴを受け取った。
指は機能しないが、手のひらに物を乗せて動かすことは出来る。
「召し上がっていただけますか?」
フードの中から、ヴェルデの覗き込むような目が見えたような気がした。
リュミエールは静かに頷いた。
リンゴを口に運び、一口かじった。
それを見て、ヴェルデもリンゴを一口かじる。
お互いの口の中に、同じリンゴの甘酸っぱい味が広がった。
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