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互いに上着を脱ぎながら言葉を交わせば、部屋の中の空気がすぅ…と、音もなく動く。それはまるで、目に見えない何かが部屋の中を移動したかのように。
事実、千鳥が何もしなくとも、透明なガラスで仕切られた浴室にある浴槽が温かな湯で満たされるまでにそう時間はかからなかった。
”魔術”と呼ばれるものは確かにこの世界に存在していたが、東洋人である千鳥と時雨の使うそれは、魔術というよりはむしろ”霊術”という呼び名の方がしっくりくるものだ。どちらも使い魔と呼ばれるものを使役し、使う事の出来る人間が限られるという点で言えば同じようなものではあったが。
当然の如く服を脱ぎ去り、先に浴室へと足を踏み入れたのは時雨だ。
文句を言うでも、不満を抱くでもなく千鳥はソファに陣取り、時雨が入浴を終えるまでの時間潰しのためにテーブルの上に置き去りにしていた読みかけの本を手に取った。幾分か縁が日焼けし、変色しているページを捲る。
そんな千鳥の耳にガラスを拳の節で叩く音が届いたのは、ちょうど三ページ目を捲った時だった。ちらりと視線をあげて湯気で曇ったガラスの壁を見遣り、千鳥は立ち上がる。口数の少ない時雨がこうして千鳥を呼ぶのは日常茶飯事だ。
「一緒に入りたきゃ先に言えよ」
「言わずとも気付け」
あっさりと返ってくる時雨の平淡な声に、千鳥は苦笑を漏らした。躰を流して浴槽に身を沈めた千鳥の太い腕に、長い腕が絡みつく。華奢な見た目とは裏腹に、引き寄せる時雨の力は案外強い。
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