5人が本棚に入れています
本棚に追加
四月になった。世間では新年度の開始である。
わが社でも部署の移動等が若干ある。
特に総務部に一時預かりになっている社員の数人は、新規事業の展開に合わせて、数日前に俺の事務所から出て行った。
全員が出勤することの珍しい事務所のデスクには、空席が目立っている。
「何か、寂しくなりましたね」
裕太がブラックコーヒーを手に、俺のデスクにやって来た。
「お、すまんな」
確かにデカイ図体の男達が二、三人消えただけで、妙に広く感じる。
「空いた所、新しい人が来るんですか?」
「ああ……恐らくな」
「うわああっ!」
突然、オレンジ色のスーツを着た人相の悪い男――金岡が、デスクの椅子をはね飛ばして立ち上がった。
「どうしたんスか、金岡さん?」
隣席の波元が、マイペースに間延びした口調で静寂を破る。
「アンナが……別れるって、メール送って来やがった。何でだよ……急に」
立ち尽くした金岡は顔面蒼白だ。
アンナというのは、奴の彼女だ。いつだったか、同棲して五年になると言ってたが、遂に愛想を尽かされたらしい。
「マジっスかぁ?」
「ああ……だけど、何か訳分かんねぇこと言ってんだよ」
「訳分かんないこと? メール、ちょっと見せてもらっていいっスかぁ?」
「あ――あぁ」
握っていたスマホを、隣の波元に渡し、金岡は文字通り頭を抱えた。
「何でだよ、アンナ……夕べだってあんなに激しかったのに」
金岡は図体に似合わぬか細い声で呻きながら、机に伏せた。奴には申し訳ないが、沈痛を通り越した有り様は、反って滑稽にも見えてしまう。
と、突然、波元がゲラゲラ笑い出した。
「――お、おいっ!」
こめかみに青筋を立てた金岡が、波元を睨む。
「ユーモアあるじゃないスか、アンナさん!」
そう言って、波元はスマホを返した。
しばらく画面とにらめっこしていた金岡だが、波元に何事か囁かれると、みるみる血色を戻して笑顔になった。
『駅にいます。今までありがとう。プラチナの、リングをくれる約束だったでしょ? ルールの守れないあなたとは、夫婦になる夢は見れません。恨まないでね。留守中に出て行きます』
金岡の彼女、アンナという女性は頭の回転が早いのだろう。
奴には勿体ない――というのが、全員一致の感想である。
【了】
最初のコメントを投稿しよう!