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今まで絵を描いても美術教師以外に褒める人などおらず、両親は見ようともしなかった。けれども、初対面のこの男は真っ直ぐな感想を、素直に率直に、たった一言だけれど伝えてくれたのだ。
「俺、本郷崇之。君は?」
自己紹介を簡単に済ませた男が名を尋ねた。
「あ、有坂広夢です」
緊張を隠せないまま、自らを名乗った。
「ひろむ? どんな漢字なの?」
「広がる夢と書いて、広夢です」
父が付けた名前はあまり好きではなかった。広がる夢なんて、今の自分とは全くかけ離れているからだ。
「広夢……いいね、素敵な名前だ」
「……っ」
口にされただけで心拍が上がった。
再び強い風が吹き付けて木々が揺れた。驚いた雄蝉が雌蝉を誘い啼く声を一際大きくさせた。
啼き声の下、広夢はまるで呪縛にかかったかのように、本郷崇之から目を反らせずにいた。
この出会いこそが、甘い夏日の幕開けだった。
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