※プロローグ

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「七月か……」  思わずポツリと零す。 (また、思い出してしまう)  広夢にとって夏は特別な季節だった。記憶の奥底に眠る出来事が、鮮明に甦る毎日となるからだ。 『――広夢くん可愛い……愛してるよ』 「っ……!」  突然、脳裏に響いたリアルな声に息を呑んだ。全身の肌がゾクリと粟立った。今は思い出すなと、歩みを速めても無駄だった。この欲は一度呼び起こされると我慢が効かなくなる。 『――広がる夢、素敵な名前だね』  まるで耳元で囁かれているように、響く声が大きくなった。歩くスピードをさらに上げるが、記憶に存在する人物は容赦なく広夢を堕とす。 『肌が白いね。まだ幼気な瞳もいい』  コンプレックスだった白い肌を、綺麗と褒めてくれた男の頬笑みが今も忘れられない。肌に触れてきた熱い掌の感触、初めて口付けた日も忘れられない。  あの時に聞いた喧しく鳴く蝉の声すらも、木々の合間から降り注ぐ灼熱の太陽の光さえも、広夢の細胞と五感に全部染み付いているのだ。
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