雪の結晶

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始まりは二百年程前だった。魔女はその家と契約をし、移動魔法の魔女になった。床に描かれた魔方陣を使い、これまで世界中を渡り歩いてきた。しかしこの魔法、唯一の欠点は自由自在に移動出来る訳ではないということだった。一度訪れた地にまた戻れるとは限らない。魔女はそれを分かっていた。だからこそ、今まで旅した場所で、特別な思い出を作ろうとしなかった。その男と出逢うまでは。 男は雪の中に倒れていた。その姿はボロボロで人とは思えず、魔女の僅かな良心を刺激した。魔女は初めて、自分以外のものを家に入れた。それは、自分の心臓を他人に見せびらかす様な行為であった。それでも魔女は、彼を家に入れた。 男の歳は二十歳を過ぎた頃であったろうか。彼は良く働き、魔女への恩を返したいのだと笑った。眩しい笑顔だと、醜い自分には不釣り合いだと魔女は思った。しかし、魔女は禁忌に触れた。人間と魔女の恋など悲劇でしかないと知りながら。 魔女は男を不幸にしてしまうことだけは避けたかった。彼の笑顔だけは守る。魔女は男に別れを告げた。自分は次の地へと旅立ち、戻ってくることはないだろうと。最後に、幸せになってくれと添えて。男は何も言わなかった。当たり前だと魔女は思った。醜い自分に好意を抱く程、この男は馬鹿でない。魔女は家と共に姿を消した。 魔女は、後悔などしていないと呟いた。男との思い出もいずれは廃れていくだろう。その時、机の上に見慣れぬ封筒が置いてあるのに気付いた。差出人は。魔女は覚束ない指先で、必死に封を開けた。まだ離れたばかりなのに、その字はとても懐かしく感じた。震える唇を噛み締めながら、目から零れる邪魔な雫を拭いながら、魔女は手紙を読んだ。戻らなければ。決意を胸に魔女は魔方陣と向き合った。 それから長い時間を経て、魔女はこの地に帰って来た。魔方陣を立て続けに使用した身体はすっかり疲弊していたが、そんなことはどうだっていいと思った。手紙に書いてあった、男の家へと一目散に走る。彼が待っていると信じて。 目から雫が零れた。手紙を読んだ時とは違う、氷の涙だ。男は、死んだ。その事実は魔女の心を飲み込んでいた。魔女は三日三晩泣き続けた。これまでも、そしてこれからも。魔女にとって、男以上に愛せるものはない。魔女は生きる意味を見失った。そして、魔女の家には手紙と赤に染まったナイフ、灰だけが残った。
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