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「お疲れ、唯史」
終礼を終えた教室の喧騒を眺めていると、クラスメイトの志波理一がやって来て、唯史の前の空席に腰を下ろした。
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
「……なんでもないよ。ちょっと疲れただけだ」
今日一日、唯史は昨日の夜出会った女のことを考えていた。
あの後、唯史はその場から一目散に逃げ出した。弁明するにしても、反抗するにしても、この場で誰かと交流することはプラスに働かないと思ったのだ。
しかし、家に帰っても夜が明けても、彼女のことが頭のどこかに引っかかっていた。
暗い夜道で人を一方的に殴り続ける男を止めに入る、という行為にまず驚いたし、それをやったのが女だったというのもまたひとつ驚きだった。その印象は唯史の頭に焼き付いて、ことあるごとに繰り返し再生されるのだった。
「なぁ、ほんとに大丈夫か、唯史?体調とか悪いんじゃないのか」
「なんでもないって」
しかし、そんなことを口にだして説明するわけにもいかない。唯史は立ち上がり、バッグを肩に掛ける。
「お、いいのか?もう帰っちゃって」
「良くないってことはないだろ。もう下校時間なんだ」
「いやいや、いつもならこれぐらいの頃合いに乱入してくる奴がいるだろ。待たなくていいのかな、と思ったんだよ」
唯史の脳裏には、隣のクラスの幼馴染みの顔が浮かぶ。確か今日は、委員会の用事だかで居残ることになっているんだったか。
「いいよ。別に待ち合わせしてるわけじゃない。いつも、あいつの方から勝手に絡んでくるだけだ」
「羨ましいことですねぇ……まぁなんにせよ、道草はあんまりしてらんないよな。例の事件の犯人もまだ捕まっていないしさ」
「……またその話か。お前も好きだな」
「好きってわけじゃないよ。でも話題にせずにはいられないだろ。世間の話題の中心なんだから」
理一が言っているのは、一月ほど前に発生した、とある殺人事件に関する話だ。家に押し入った犯人が、その家に住まう一家全員を殺してしまった、というものだ。そして問題の中心は、その手段が非常に残虐であったことにある。
発見された遺体からは、致命傷となった傷以外にも無数の打撲、擦り傷、切り傷があったと報じられている。詳しい情報は明かされていないが、ゆっくりと時間を掛けて嬲り殺しにしたのだということは間違いない。
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