掌から零れ落ちたものは……

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 無意識でもなれた道はあっという間に歩けてしまうらしい。目の前に見えてきた古びたアパートに、我知らず溜息が零れ落ちた。ペンキの所々剥げ落ちたドアの前で足を止める。 「――ここだよ。狭いところだけど、入って」  ジーンズのポケットから鍵を取り出して開錠したドアを開けて、半歩後ろで立ち止まる尊人を促した。  「お邪魔します」  待っているひとなど居ないというのに、律義に挨拶をしてドアを(くぐ)る尊人に育ちの良さを感じる。やはり住む世界が違うのだなと、改めて思った。  玄関に入ればすぐに台所と続く6畳の部屋が視界に入る。あとは閉ざされたドアの向こうに風呂とトイレがあるだけの詠史の城だった。  部屋の中央に小さな卓袱台(ちゃぶだい)が置かれただけの質素な部屋。 「座布団はないんだ。そこに座って」  先に部屋に入った尊人が卓袱台の前に胡坐(あぐら)をかくのを確認してから、小さな冷蔵庫を開けて洗い(かご)に伏せてあったグラスとマグカップに麦茶を注ぐ。尊人の前にグラスを置いて、マグカップを手に向かい側に腰を下ろした。いつの間にかからからに乾いてた喉を麦茶で潤して、半分ほどに中身の減ったマグカップを卓袱台に置く。     
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