掌から零れ落ちたものは……

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 忘れたことなどなかった声は記憶の中よりも落ち着いた深みを増して、離れていた10年という歳月を感じさせる。  なんでこんなところにいるんだとか、相変わらず良い声をしているななんて纏まりのない言葉が、詠史の頭の中をぐるぐると駆け巡った。軽い混乱状態に(おちい)る。それを悟らせまいと、肺の中を空っぽにするように細く息を吐き出して気持ちを落ち着かせると、ゆっくりと顔を上げた。  座ったまま見上げれば、場違いなスーツを纏った相手と視線が交わる。 「やっと見つけた」  にやりと不敵な笑みを浮かべながら詠史を見下ろすのは、二度と顔を合わせることは無いと思っていた元恋人、永嶺尊人(ながみねたかと)だった。  昔は短く刈りあげていた黒髪は伸ばされて、後ろに流した前髪が一筋額にかかっている。記憶にないフレームレスの眼鏡をかけた姿は仕事のできる男そのものという感じで、すっと背筋の伸びた長身にダークグレーの細くストライプの入ったスーツが嫌味なくらい似合っていた。 「……久しぶり」     
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