掌から零れ落ちたものは……

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(どうしてこんなことになっているんだろう……)  テントの立ち並ぶ境内を背に、叱られた子供のようにとぼとぼと歩く詠史の視界には、何も語らない尊人の広く大きい背中が映っている。逃げるのを許さないとばかりに掴まれた手首を引かれて項垂(うなだ)れて歩く様は、まるで罪を犯して刑事に連行される容疑者のようだ。実際、今の詠史の気分は、死刑台へと向かうようなものだと言っても過言ではない。  鳥居を抜け古びた石段を下りきったところで、不意に尊人が振り返った。 「どこで話そうか。――詠史の家はこの近くなのか?」  家でふたりきりになりたくないと思いながらも、話の内容が別れたときのことならばひとの居ない所が良いことはわかっている。俯いていた顔を上げれば、真っ直ぐに自分を見つめる尊人と視線がぶつかった。 「……あそこの住宅街だよ。畦道を通っていけばそんなに遠くはないけど、革靴が汚れちゃうから、ぐるっとまわらなきゃいけないかな」  広がる田園地帯の向こうに見える住宅地を指さしながら、ぼそぼそと答える。 「靴の心配はしなくていい。おまえが普段通っている道を行ってくれ」  そう言い切られてしまえば逃れる(すべ)もなく、重い脚を引きずるように前へと押し出した。  未だ離して貰えない、掴まれた手首から伝わる熱がじわじわと腕を遡って、辿(たど)りついた胸を締め付けてくる。変わらぬ温度に勘違いをしてしまいたくなった。――尊人もまだ詠史を想ってくれているのだと……。 (そんなことあるわけないのに……)  草紅葉が色づく畔道に刻まれた(わだち)を、言葉を交わすことなく、ただゆっくりと進んでいく。刈り取られた稲の乾いた切り口から漂う(わら)の匂いが、拓けた田圃の上を気紛(きまぐ)れに渡る風に乗って鼻腔(びくう)(くすぐ)っていった。好きなはずの匂いも、今は詠史の気持ちを安らかにはしてくれない。  刻一刻と近づく執行の(とき)に、機械的に足を進めながらも、みっともない真似だけはするまいと密かに心に誓う詠史の脳裏(のうり)には、幸せだった日常とそれが暗転したあとの記憶が鮮やかに(よみがえ)っていた。
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