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「最初言われたときは凄く嬉しかったんだけど――有がそう言うとき、本当に怖がっている感じがして。二回目からは気になった」
有もその言葉が気になった。なにか重要な意味を持っている気がしてならない。
「有、そろそろ時間だ。部屋を出ないと」
亘が有の体から退いた。圧迫感から解放されほっとする反面、亘の体温が遠ざかり寂しい気分にもなる。
着衣を整えてふたりは部屋を出た。ホテルの出口から駅まで歩き、改札口を通ろうとしたところで、亘が立ち止まった。
「有、ごめん。会社に忘れてきたものがあった。取りに戻るから、先に帰ってくれる?」
「それは、いいけど」
亘が疲れたような顔のまま、笑顔を作った。
「すぐ俺も帰るから。――今まで黙っててごめんな」
亘の声に力がなかった。
「なにか言えない理由があったんだろ?」
今ならそう思える。亘は自分の都合で言わなかったわけではないと。
「買い被るなよ。俺のエゴだ。有に自力で思い出してほしかったんだ。俺が教えたことを有が覚えても――もうそれは有のオリジナルの思い出じゃないから」
自虐的に笑ったあと、亘は有に背中を向け、さっき来た道を歩いていく。
有は恋人の背中を、人混みに紛れ判別が難しくなるまで見送った。
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