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ちょうど街灯の前を男が通り過ぎた。百八十センチ近くある背丈、艶のある黒髪、体にフィットしたセンスのいいスーツ。
やはり亘だった。彼はひとりではなかった。パンツスーツの女性と近い距離で歩いていた。
見覚えのある顔だ、と思った瞬間、家まで亘を追いかけてきた同僚だと思い至る。
声をかける隙もなく、ふたりは颯爽と駅の方向へ歩いていく。自社ブランドのロゴが入った紙袋を手に提げて。
亘の勤務先は渋谷なのだ。こうやって偶然会っても、それほど驚くことではないのかもしれない。
彼らの背中をぼんやり目で追っていると、とつぜん亘がぴたりと歩を止めて、こちらを振り返った。彼が驚いたように目を見開き、有のもとに走ってくる。
「有、どうしたの? こんな所にいるなんて。飲み会でもあるのか?」
亘の吐いた白い息が、有の顔近くまで届いた。
有はドアを開けたままの状態で、「いや、違うんだけど」と返事をした。
「仕事が思っていたより早く終わったんだ。このサンプルを得意先に渡したら帰れる」
亘が、手に持っている袋を振って見せた。
「渋谷で一緒に夕飯食べていかないか? 二十分も待たせないから」
「え、でも――」
彼に無理をさせているようで心苦しい。用事があるから、と断ろうとしたとき、数十メートル先に立つ亘の同僚が彼の名前を呼んだ。
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