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1900年 夏
今日は特別な日だ。
先程から二人の若者は互いにそう言い合って、夏の潮風の心地よい砂浜を興奮気味に歩いていた。この日の興奮が後々の世まで人々の暮らしに影響を及ぼすであろうことなど、この日の二人には知るよしもなかった。
時は1900年 夏。
21歳の村田省蔵は手拭いを首からぶら下げ、帰路に着いていた。隣りを歩く同じ学校の年上の田崎慎治に、互いに興奮冷めやらずという熱い口調で村田は語りかける。
「マグロは“漬け”でしか食べたことはなかったが、刺身とは驚いた」
田崎も先程の出来事を思い出しながら答える。
「海の目の前で、こんな晴天の中で食べられたのも気分が良かったな」
出来事とは、この二人が海水浴にやってきた砂浜で、うずくまる老婆を助けたことから始まった。助けたと言っても、二人が老婆に駆け寄るとすぐに漁師とおぼしき中年の男が近寄ってきて老婆を家へとおぶって行ったので、助けたというほどのことは何もしていない。ただ男は若者二人の親切にいたく感謝し、家で昼食を一緒にするように勧めた。
さんざん海で泳いだ後の昼飯時で、すっかり腹を空かせていた二人は、男の言葉に甘え、砂浜近くの男の家に入った。
「どういうルートで手に入れたかは聞かないこと、それに、ここで食べたことは当分の間、誰にも話さないという条件で、親切の礼に良い物を食わしてやろう」
男は二人に告げると奥の台所から木箱を抱え居間へ戻ってきた。
「これはいったい何ですか?」
村田は無遠慮に男に尋ねた。
「誰にも言うんじゃねえぞ、これは支那で揚がったマグロだ」
二人は顔を見合わせた。
「これはな、支那から冷凍されてここにやってきたんだ」
「冷凍?どうやって?」
「だからそれを聞くんじゃねえってさっき言ったばかりじゃねえか」
田崎は良からぬ場所に連れ込まれたのではないかと内心で用心をしていた。
「いいから食ってみな、酒もあるぞ」
男に勧められるがままに二人はマグロの刺身を口に入れた。
「美味い」
酒も入り、男が悪い者ではないことが二人にも理解できた。快晴の海を眺めながらの宴になり、たらふく食べた。男は海の者だけあって酒も強い。二人もマグロの美味しさにつられて大いに呑んだ。
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