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暖炉というものは、空気と同じように必要不可欠なものだ。部屋を暖めてくれるだけでなく、熱湯まで沸かしてくれる。
カロリナ曰く特別に焙煎してもらったらしいコーヒー粉の上に2、3滴お湯を垂らすと、蒸気とともに鼻腔を刺激する芳しい香りがふわっと舞い上がった。その香りに誘われるようにさらにお湯を注いでいくと、布フィルターを通じて金色のラインが施されたカップにポタポタと滴が落ちていく。その音までもが美味しそうだった。
香り、音と続いて視覚でも美味しさを堪能しようとするが、その試みに邪魔が入る。
「だから、私が淹れてあげるって言ったじゃない!」
スルノア国第一王女であるカロリナ・カールステッドのその漆黒の瞳には、赤い怒りの焔が宿っていた。
「ですから、王女であるカロリーナ様にコーヒーを淹れてもらうなど、執事の身分では到底お願いできないことでありましてーー」
カロリナは花にたとえるのならまさにバラのように赤の似合う女性だった。大きく開いた瞳に高い鼻、そして分厚い唇と遠目からでもわかる目立つ顔立ちに、肩まで出した真っ赤なドレス姿の似合う抜群のプロポーション。それらを腰の高さまでのシルクのようなしなやかな黒髪が際立たてせている。すぐ紅潮し怒り出すところすら、カロリナらしかった。
「ーーそれにいくら帰還の日とはいえ、早朝からドタバタと人の部屋に上がり込んで、唯一と言っていい至福の時間を奪ったんだから、文句を言われる筋合いはないと思うが」
睨み付けるカロリナの視線を合わせないようにもう一つのコーヒーカップにもお湯を注ぐ。
「む……まあ、それはほんの少し配慮が足りなかったわ。けれど、いいじゃない。貴方は私の執事なんだから。執事の部屋に入るのは私の権利よ」
ワガママな論理だが、そこは王女様なのだから仕方がない。僕の吐いた息を肯定と捉えたのか、カロリナの顔に上品な微笑みが戻った。
「いい香りね」
並々と注がれたカップを手元に引き寄せながらカロリナは言った。 僕も暖かみのあるラブトレッド製の椅子に軽く腰掛け、コーヒーを一口、口に含む。美味しい。深いコクと渋味が口奥へ流れ込み、その香りとともに心を落ち着かせてくれた。こうやってよく憎まれ口を叩くものの、わざわざ自分用に豆を用意してくれたカロリナには感謝しているのだ。……いや、実際に市場から手配してくれているのは、シェフたちなのだけど。
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