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アタラクシアは苛立ちながらも、苦言を飲み込んだ。口にしたが最後、燎原の火のようにパニックが沸き起こる。
「レイチェル。みんなにアルコールを振る舞ってくれないか。わたしは結構だ」
「乗客にも、ですか?」
「ああ、そうでもしないとやってられないだろう」
機長は闇に閉ざされたスクリーンを見やった。トゥオネラ号は永久影と呼ばれる永遠の暗黒に落ちている。
レーダーによれば、現在地は直径百キロにも及ぶクレーターの底だ。急峻な外輪山が幾重にも取り巻いており、宇宙船でないと乗り越えられない。
そして、ここは惑星ヴァルカンですらない。
「どうして、水星なんですか?」
「あたしも長いこと機長をやっているが、水星の永久影に嵌った事例は聞いたことがない」
「だって、ありとあらゆるシミュレーションを受けているんでしょう?」
「レイチェル。水星の傾斜角度は0度なんだ。ほぼ垂直の地軸を持つから、どうしても陰になる部分が出来る」
永久影は文字通り、この世の終わりまで続く日陰だ。やがて死の常夜が訪れる。通信衛星なしでは地球と交信できない。
「そういうところに墜落した時の訓練でしょう?」
軽蔑するようなまなざしを向けるレイチェル。
「……だからこそ、はまらないように細心の注意を払っているんだ。側溝に落ちる歩行者はいないだろう?」
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