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……部屋を、移動。
私は一瞬、言葉を失った。
壁がある生活に戻れる。それはずっと願っていたことだったのに、何故か心が空虚になった。
実はテレビの修理代はもう貯まっていた。あとは修理に出せば、隣田くんにテレビを借りる必要も無くなり、部屋を出る唯一の懸念点は解消される。今後は隣田くんのイビキに悩まされることもなくなる。パジャマから外着に着替える時、「もう、絶対絶対こっち見ないでよネー!」などとラブコメのようなセリフを叫ぶ必要もなくなる。
……でも、なんだろう。
この気持ちは……。
そっと隣田くんを見ると、彼は静かに大家さんを見つめていた。
「分かりました」
「……分かりました」
「よかったねい。それでは、今度こそ管理会社に連絡しておくから、あとはそっちの指示に従うねい。よろしくねい」
大家さんは、黄金のローブを翻し帰っていった。
音の無い102号室に正座をしたまま、私はぼんやりと俯き座っていた。
――寂しくなるわね。
そんな言葉が飛び出てきそうになり、慌てて飲み込んだ。
危ない。私は何を言おうとしたのだ。
隣田くんが用意した三人分の麦茶のような液体。そのコップを手に取り、一口頂いた。
麦茶のような味がした。
「おい、角野」
隣田くんの声に、顔を上げた。
隣田くんの目を見つめる。その目は相変わらず死んだ魚の目をしていた。
「契約は、契約だからな。……夜ご飯は、ちゃんと持ってこいよな」
その言葉に、私はつい笑顔になった。
「……もちろんよ。その代わり、テレビもちゃんと見せてよね」
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