神話

2/3
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
 ――雪の夜には、神様が現れるらしい。  それは私たちの町に生きる伝承であり、大人たちも皆信じている”事実”だ。  冬になれば溶けない雪に覆われ、他の町との交流を一切失ってしまう私たちにとって、その言い伝えは、雪を恨まないための唯一の支えだと言っていいだろう。 『神様は、雪の夜に現れ、彼に会う人を嫌う。』  小さな町の、しかも雪の夜にしか現れない神だ。  だから彼は、全知全能でもなければ、強大な力を持っているわけでもない。  彼が神になったのも、凍って死んでしまった少年を憐れんだ女神の、気まぐれのような慈愛からだと伝わっている。  そもそもがローカルの、他愛もない神話だ。  だけれど、彼は雪の日の夜にはこの町に必ず訪れ、留まり、時に恩恵をもたらしてくれる。  信仰を示す方法も簡単だ――ただ、外に出なければいい。彼に会わなければいい。  なぜなら、彼が望んでいるのは、自分のような悲劇がこれ以上生み出されないことだからだ。  この町に住む人は、だから雪の夜には誰も外出しない。  凍えるような夜の寒さの中で、降りしきる雪の中を歩く苦行が、その無謀さを窘める神にまで嫌われるとすれば、そこには何の利益もない。  雪の降る夜は、ただ静かに、その粒が積もるだけだ。  クレアがその”戒律”を初めて破ったのは、彼女が14になった時だ。  夜も深まった時間。親の寝静まったことを確認した彼女は、コートを取って玄関へと向かった。  忍び足で、床の鳴る僅かな音にも神経を尖らせながら、しかし気は急いて。  ドアを目前にしてやはり躊躇した彼女は、けれど息を吐いて、ありったけの勇気を絞り出した。おそるおそる扉を開け、身を捩って外に出る。  そこで彼女が認めたのは、神でも、悪魔でもなかった。  ――あったのは、静かに落ちていく粉雪の冷たさと、町を包む静寂だけだ。  吐く息の白さと、そして音すらも飲み込む雪の神秘に、彼女は恍惚とする。  清廉な空気は、少しばかりではなく肺を冷やしたが、それでも吸っていて心地がよかった。  暗闇に包まれた町を、彼女は約束の場所まで走る。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!