最終章

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 ◇  ──ピアノの音が聞こえた。  呼んでいる。  雪平さんが。でも動けない。だってできるわけがない。今の俺には、雪平さんの曲に命を吹き込めない。 「俺も行くよ」  志岐天音の声に、南は俯いていた顔を上げた。 「俺は今日、あの人の声になる」  あんたもだろ、と志岐は笑って舞台に上がっていく。  ワンフレーズで、雪平さんの曲だ、と思った。切なさが滲む音の運び。美しく感情豊かなピアノの音と、志岐の優しくも力強い声。  ──呼んでいる。  楽譜を持つ手が震える。楽器を持つ手に汗が滲む。無茶苦茶だと思った。人の悩みを聞き出して、泣かせて、挙句にこんなに無理矢理やらせようとするなんて。ちっとも見守っていてくれない。  恐る恐る楽譜を見てみる。難易度は高くない。南が普段演奏しているクラシック曲に比べたら、初見でそこそこ演奏できるだろう。だけど、問題はそこじゃない。指が回るとか、奇麗に音が出せるとか、そういうことじゃない。自分がどんな演奏をしたいのかイメージが湧かない。  “春を告げる”  はっと顔を上げた。声の色が変わったから。目を覚まさせるような、眩しい光。冬から春に季節が変わったように、変わったことを気づかせるように、歌声が変化した。
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