不謹慎な新年

3/9
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/87ページ
 ブランド品と流行りのコンサバファッションに身を包んでのキャンパスライフ、観光旅行もどきの語学留学、高級ホテルでの豪華な卒業謝恩会ーー「女子大生ブーム」なんて言う言葉が一人歩きし、それを売りにした女性タレントがアイコンとしてバラエティ番組や雑誌のグラビアを賑わせていた。そんな時代に東京の大学に通っていたら、そういう浮ついたイメージを持たれるのも無理はないのかもしれない。 「そんなヒマもお金もないよ。教育学部じゃないから必修の他に教職のための単位で時間割も目一杯で、まるで高校生みたい」  亜子の両親は娘が県内の大学に進学して教員か公務員といった「堅い職」に就くことを望んでいた。その時代の就職は正規雇用を意味したし、徐々に失墜しかけているとはいえ地方における教員や公務員の安定感と社会的地位の高さは今の比ではなかった。  四つ下の弟ならともかく、いずれ結婚して家を出て行くであろう娘の亜子になるべく余分な費用を掛けたくない両親を説得するのは、受験そのものより大変だった。  運動や芸術が得意であるとか手先が器用であるとかいった特技も取り柄も特になく、とりたてて社交的でもないしリーダシップなど欠片もない亜子だが、受験用の五教科七科目だけはなぜかよくできた。  その頃、共通一次試験を想定した民間の全国模試では、科目ごとの順位と学校名、個人名が百位以内まで載せられていた。亜子の名も何度か、主要都市の名だたる進学校の生徒と肩を並べて掲載されたこともある。  元々のIQがある程度高かったのかもしれない。少なくとも過疎の町立高校の生徒にしては何十年かに一度レベルの飛び抜けた学力である事には違いなかった。  教育者としての熱意と若干の職業的野心を持った教師達の「県内の大学では亜子の偏差値には役不足で釣り合うところがない」という言葉で最後に両親を説得することができた。現役で国公立に受からなかったら就職する、受かったら教員免許を取る、学費は出してもらえるが生活費は自分で稼ぐ、という条件で。
/87ページ

最初のコメントを投稿しよう!