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ある日、かずは珍しく早めに帰宅した。
銀は来ていなかった。
風呂場の浴槽に水を張り、フタをして、ガスボイラーのスイッチをひねる。
はぁ~。今日は久々にゆっくり風呂にでも入るか。
しばらくの後、そろそろいい湯加減♨に沸き上がっただろうと、風呂場をのぞいたかず。
そこには、浴槽のフタの上に鎮座する銀の姿があった。
相変わらず、家主に何の挨拶もない奴だ。
浴槽が暖かい時のフタの上。これは、人間座布団の次にお気に入りの、銀である。
そりゃそうだ。床暖房、ホットカーペットのようなものである。
これ以上の暖かい座布団はあるまい。
しかしそんな銀の都合を優先させるほど、かずは銀に入れ込んでいる訳ではない。
「どけ、銀」
湯船に浸かる、あの無上の喜びの前には、他人な猫の都合など、知ったことではない。
風呂のフタを開けなければ、当然あの極楽は手に入らないのだ。
ロール式のフタを巻き取ろうとするが、目を開けた銀は、かずをチラリと一瞥しただけで再び目を閉じ、これっぽっちも動く気配がない。
この野郎。
かずは強引に銀をフタの上から引きずりおろし、フタを半分まで巻き取って湯加減を確認した。
よしよし、バッチリ!
は~💕風呂風呂♨
服を脱ぎ捨てて、再び風呂場に入ったかずの目に、再び銀が映る。
浴槽の上、まだ半分巻き取らずに残っているフタの上で、何事もなかったかのように鎮座ましましている。
しつこい奴め。
……まあいいか。
かずは半開きのフタをそのままにして、半分開いた口から浴槽に潜り込んだ。
は~💕 極楽極楽♨
…………。
……………………。
妙なシチュエーションであった。
銀は、寝そべっている訳ではない。
手足をきちんと地につけた、伏せの姿勢で、浴槽に浸かるかずの正面に、顔を向けて目を閉じている。
思えば、こんな間近で真正面から銀に対峙したことはなかったような気がする。
半分ロールされた風呂フタを挟んで、二人は計らずも、お見合いタイムに突入したのである。
むーん……。
……よく見りゃお前けっこう男前だな、銀。
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