雪夜行

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 困窮した家計にため息をつく母の姿ばかり覚えている。女手一つで私を大学にまで進学させてくれたのだから、決して情が薄いわけではない。ただ、他人に対する興味が薄いのだ。私にもその傾向があるので、間違いなく母と私は似た者親子だった。 ***  施設に入る直前、顔を見せた私に「汽笛が聞こえる」と母が言った。夜、寝ようとすると、汽笛が聞こえてきて、うるさくて眠れないのだと。  認知症によるものなのか、ただの幻聴なのか、私には判断できなかった。けれど、母が苦しそうに顔を歪めるので、症状としては相当酷いのだろうと思った。  そのときの私は、眠れないことが辛いのだと解釈したのだけれど、実際は違った。母は、別のことで苦しんでいた。教えてくれたのは、従姉だった。 「おばちゃんね、幻覚も見ているらしくて。時々泣きながら謝っているの。どうしたのって聞くと、菊姉ちゃんに悪いことをした、ごめんなさい、ごめんなさいって繰り返すのよ」 「菊姉ちゃん」というのは、母や伯父の姉にあたる人だ。若くして亡くなったため、私も従姉も会ったことがない。ふだんはおとなしい母が、そのときばかりは子どものようにわんわんと泣いたそうだ。  私も一度だけ、その場面に遭遇した。年末の、雪の夜だった。私は母とともに安アパートで新年を迎える予定でいた。年が明けたら施設に入ることが決まっていたので、二人きりで過ごす最後の正月だった。     
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