トロンプ・ルイユ

3/6

2人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 『なんだ、これは……』  小説家志望の男は、頭を抱えた。  衣服やゴミの詰められたコンビニ袋で散らかった小さな部屋が、男の背中越しから漏れる白い光に映し出されている。狭い部屋の内側にある光源は、デスクチャアに座る男の血走った目が向けられた先のそれ一つである。  ディスプレイに映っているのは、キーボードを打つ手が止まり、息抜きでもと開いた小説投稿サイト。そこでたまたま自分が現在手掛けている草稿と同じタイトルの小説を見つけた事が、男の混乱の始まりだった。    男には友と呼べる者はおらず、会話を交わす相手といえば生計を立てているアルバイト先で出会った人々くらいのもの。そしてその人々とも、街中で顔を合わせても挨拶すら交わさぬ間柄である。  両親とは金の無心を断られて以来疎遠になっているため、少なくともここ四、五年は、自宅に他人が訪れた事はなかった。  留守中に何者かが部屋に忍び込んだ気配も感じられない。ならばこのパソコンが覗かれたのは外出時である可能性が高いだろう、と男は考える。  執筆に行き詰まれば、このノートパソコンを抱えてファミレスなどに繰り出す事はよくあった。そんな時は大抵長丁場になるため、付近の席に座っていれば、開いたままにされているこの画面を盗み見るのはそれほど難しい事ではないだろう。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加