[0:南食堂 3月27日14時58分]

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「振り回されて可哀そうに、時東くん」 「可哀そうって」  どちらかと言えば、振り回されているのは俺だ。さすがに一言物申したくなって声を尖らせたのとほぼ同時に、戸が開いた。 「すみません。まだ準備中で――……」  準備中の札は出していたはずだが、と思いつつかけた声が止まる。入口に立っていたのは、二十歳そこそこと思われる女性だった。春物のコートに、茶色いボブカット。その下で不安そうだった顔が、南たちの方を見とめて、ほっとしたように緩む。  はにかんだ笑顔に、微かな既視感を覚えた。どこで見た顔だろう。町の人間だったら見覚えがあってもおかしくはないのだが、おそらく、そうではない。 「あぁ」  どこか楽しそうに春風が声を上げた。そして、鉄壁の外面でもって笑いかける。 「どこかで見たと思ったら。時東くんの彼女じゃん」  その台詞に、南も改めて視線を入口へと向けた。否定も肯定もせず、彼女が小さく頭を下げる。もう一度上がった、幼さの多分に残る面に、数拍置いて気が付いた。  ――『Ami intime』の。  時東がインディーズで活動していたころのバンド名がするりと浮かんだ。 あのころ、確かに見た顔だった。いつも、二人の少年の後ろに付いて回っていた紅一点。それが、かつての少女との数年ぶりの再会だった。
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