平成親子喧嘩~楽しんでやることは努力とは呼ばない

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 それが私が知ることの出来た社会だった。  好きになって、やればやるほど、工夫すればするほど更に好きになれた。  楽しかった。幸せだった。  だから、家にはできるだけ帰りたくなかった。  そして、私の成績偏差値は半年で48から67まで上がった。  国語に至っては偏差値82をとることもあった。  でも、少しも苦しくなかった。 「楽しんでやることは努力のうちに入らないんだ! お前は努力していない!」  それが親が時々言うことだ。  だから、何をやっても、その中に楽しみを見いだす私は、途中でやめるしかない。 「詰めが甘い!」  どうにもならない。  だから、親にどんな成績表を見せるのもいやだった。  いくら5や10が並ぼうが、それよりも3や4になる体育のことを言われるのだから。  何をやっても無駄な人生だ。  そのうえ学校ではいじめられる。  いじめられるのに理由なんてない。  いじめを許す環境があれば、理由など後付けでどうにでもされてしまう。  でも、私はいじめられても私は仕方がないと思っていた。  私は人並み以下なのだから。  だから逃げたかった。  地域で2番目にいい高校に逃げた。それしか方法はなかった。  でも、親は自分が正しいことをした結果だと自信を持ったらしい。     
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