平成親子喧嘩~楽しんでやることは努力とは呼ばない

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 入学と同時に、さっそく大学への学資ローンを決めた。  すごく喜んでいた。  それは逃げた私ではなく、自分のやったことが正しくてうれしかったのだろう。  もちろん否定するのは分かっている。 「お前は言うことを聞かない!」  そうなのだろう。 「お前は強情だ」  これもきっとそうなのだろう。  そして私は、それからも逃げた。  大学受験を放棄した。  複々線工事のはじまったばかりの小田急線、代々木上原駅。  予備校へ通う急行から私は途中下車した。  そして、午前9時、ラッシュの終った駅の静けさに、私は立ち尽くしていた。  こんな穏やかな世界もあったんだ……。  もう受験をする気にはならなかった。  それでも、私は受験から逃げられなかった。  だから、試験の前日、首をつった。  逃げ場はもうそこにしかなかった。  気がつくと、私は顎に壊れたブリキのゴミ箱が刺さり、失禁していた。  首をつったベルトが切れて、ゴミ箱の上に落ちたのだった。  逃げられなかった。でも、逃げた。  病院に行くと、ナースが『幻聴が聞こえたのよね』と決めつけてかかった。  そして、入院の書類には、  措置入院、つまり医師の判断がなければ絶対退院不能です、とあった。  そして別の病院に入院した。     
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