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すぐさま取り消そうとしたけれど、茜の返答速度が若干勝った。
「……嬉しい」
その短い言葉に込められた暖かみが耳に染みる。
おれが帰ってくるのを、幸福の庭の入口でずっと待っていてくれたかのようだ。
おれは撤回を飲み下した。
「お兄ちゃん、むずかしいことばっかり考えちゃだめだよ。良いことだってあるんだから。わたし、もう眠いから寝るね」
「うん、お休み。話せて良かった」
「わたしもお兄ちゃんと話せて嬉しかったよ。それじゃあ、またね」
電話が切れた瞬間にくしゃみをして、おれは寒空を見上げた。
雪は勢いを増してとめどなく降り続けている。
寒さはこの体に浮かぶ余分な感情を凍らせていく。
てのひらを空に向けて広げてみる。
するとひとひらの雪がするすると舞い降りてきた。
完全な六花の形だ。
それがおれのてのひらで雫に変わっていくのを見届ける。
どんな想いを宿していても、それを肉体から切り離すことはできなくて。だから人は生まれた意味を、生きていく希望を求めるのかもしれない。
おれは体をぐっと縮めるようにしながら左手の時計に白い息を吐きかけた。
「『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった』」
夜の底が白むまで、あとどれくらいだろう。
分からない。それならば待てばいい。
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