0人が本棚に入れています
本棚に追加
冬空シチュー
──今日も相変わらずの冬空だった。
寒く、暗い夜の帳にどっしりとのしかかった分厚い雪雲から零れ落ちた牡丹雪が窓ガラスの向こうの角張った街の風景を優しくふんわりと白で包み込んでゆく、天気が織り成す一幕の劇のような空模様。その空模様を見る事は寒がりの私にとってたった2つしかない冬の楽しみの一つだった。
「あなた、ご飯よー!シチューだから冷めないうちに早く早く!」
「!…ああ、分かった。今、行く」
そして聞こえた優しく自分を呼ぶ声。これをとにかく待ちわびていた私は猫のように俊敏に黒の革張りの椅子から降りて立ち上がって雪積もりゆく街を一瞥した後、急いで一階に続く階段を駆け下りて、声の主の元へと向かった。
「あら?今日は早いわね!」
一階のリビングの扉を開けると、そこには満面の笑みを浮かべた声の主──妻が既に椅子に座っており、テーブルを左指で指しながら早く早くとまるで子供のように大袈裟に手招きして私を催促した。
テーブルの上を見ると、まだほかほかと湯気立つ温かそうな夕食が所狭しと並べられており、その料理達から香る香りは、空腹の胃を刺激して止まない。
──が、その中でもとりわけ私の胃を握って離さない料理が一品あった。
「ふふ……やっぱり。あなた、シチューだから早かったのよね?」
「……気の所為だろう。たまたま早かっただけだ」
「でも、さっきからシチューにしか顔が行ってないわよ?」
「……。」
どうやら、私は妻に隠し事は出来ないらしい。
ああ、そうだとも。早く来たと感じる妻は正しい。決して錯覚ではないのだ。
何せ──私の冬のもう1つの楽しみはこの妻が作るシチューなのだから。
そう、言おうと思ったのだが。
私が元来、素直に物を言える性格ではない事が災いして──いや、というよりも率直に気恥しくて──言葉を返せなくなってしまった私はただモゴモゴと口を動かす事しか出来なくなってしまった。
「ふふふっ、いいわよ言わなくても。私はちゃんと分かってるから」
「……いや、だから……むぅ……」
狼狽える私を見てクスッと上品に笑った妻。
結婚してしばらく経つが何時になっても彼女にはどうも私は敵わないようだ。
最初のコメントを投稿しよう!