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森野さんはそこまで話すと、深々と頭を下げた。
「すみません。今日、その人がこの会場に来て居ます。だから…、その人の為に一曲歌わせてください。」
そう言ったのだ。
私が驚いていると
「歌って~」
「カケル~、その人に歌って~」
会場中から、割れんばかりの声が響く。
森野さんはゆっくり顔を上げると、泣きそうな笑顔を浮かべて
「ありがとうございます」
そう呟くと
「その人の為に書きました…。聞いて下さい。『月歌~gekka~』」
森野さんの声と同時に、綺麗なピアノの伴奏が鳴り出す。
とても綺麗で…切ないメロディーに涙が止まらなくなる。
森野さんの歌声が、私と森野さんの再会を思い出させていく。
喧嘩ばかりして、大嫌いだった人。
でも、仕事に対しては真面目で尊敬できる人。ぶっきらぼうだけど、本当は優しくて…
知れば知るほど大好きになった。
聞いていられなくなって、席を立とうとした私の腕を、平原チーフがステージに視線を向けたまま掴む。
「まだ、森野君の事が好きなら、森野君の気持ちをしっかり受け止めなさい」
私は平原チーフの言葉に頷き、座り直してステージを見つめる。
多分、森野さんはこちらに向かって歌っているのだと思う。会場のあちこちから、すすり泣く声が聞こえて来る。
月歌~gekka~それは、いつだったか…私が森野さんに言った言葉だった。
いつも同じ曲ばかり聞く私に、森野さんが「飽きないのか?」と聞いて来た。
『カケルさんの唄はね、月の光みたいなの』
『はぁ?』
『優しく穏やかに包み込んでくれるの。月の光って、太陽みたいに痛くないでしょう?』
『光に痛いもくそも無いだろうが…』
『もう!茶化さないで下さいよ!何と言われても、私にとってカケルさんの歌声は月の光みたいに優しく包み込んでくれるんです』
『月ね…』
『そう!私の暗闇を照らしてくれる、一筋の光なんです。私、カケルさんの歌声があれば強く生きられるんです』
『大袈裟だな…』
呆れた顔をした森野さんの顔を思い出す。
あの時の話を…覚えてくれていたんだ…。
そう思ったら胸が熱くなった。
私の想いはもう届かないけど…、森野さんが私の為に歌ってくれている。
もう、それだけで良かった。
月歌~gekka~は、終わった瞬間に物凄い拍手の渦だった。
そして最後に、デビュー曲を唄って2時間30分のライブが終わった。
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