第二章 似てるけど世界で一番嫌いな奴

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森野さんとは、出会いから最悪だった。  私の両親は結局離婚してしまい、私は母親に引き取られた。 父親の度重なる浮気に、母親が三行半を叩き付けたらしい。  父親と離婚した母親に連れられ、私達親子は母親の実家に身を置く事となった。 引っ込み思案だった私は、友達と離れるのが本当に嫌だった。 でも、住んでいた家は売り出される事が決まっていたので、私に選択肢は無かった。  祖父母は優しくて、シングルマザーになって多忙になった母親に代わり、私を可愛がってくれた。 母親は私を育てる為に、病院に働きながら看護師の資格を取った。 昼間は病院で看護師助手として働き、夜は看護学校へ通っていた母。 なので食事は祖母が作ってくれていて、授業参観などは祖父母が来てくれた。  私自身、毎日疲れた顔をした母親に、迷惑を掛けないようにと、勉強や家の手伝いを率先してやった。 「明日海、あんまり無理するんじゃないよ」 文句も言わず、良い子にしていた私を心配して、祖父が良く頭を撫でては言ってくれていた言葉。 祖父は寡黙な人だったけれど、私の事を良く見てくれていて、何かあると励ましてくれた。  逆に祖母は明るくて、いつもニコニコしている人だった。 料理上手で、私は祖母の作る煮物が大好きだった。特に、春になると作ってくれるフキの煮物は絶品だった。 いつも喧嘩ばかりしていた両親と暮らしていた頃よりも、優しい祖父母との穏やかな生活の方がとても幸せだった。  学校も、運良く新学期に間に合うように転居したので、友達も思っていたより早くに出来た。 そんな中でも、野木綾子(通称、あこ)と大矢由香(通称、ゆか)とは、3人トリオと言われる程に仲が良かった。  何をするにも、何処に行くのも一緒だった。 でも……あこの好きだった木本君が私を好きだという事が分かると、その関係にも亀裂が入る。 いつも一緒に居たから、この時は本当に辛かったな……。  そんな時、私を救ってくれたのは、カケルさんの歌声だった。  辛い日々を耐えてクラス替えになり、新しい友達が出来てリスタートと思った矢先、祖父が病で倒れ急死した。 その後を追うように、祖父の死から半年で祖母も病で他界してしまった。 小学校6年生の時の出来事だった。  大好きな祖父母を亡くし、私は失意のどん底に居た。 その傷が癒えないまま、母親の仕事の関係で引越しをする事になる。 あの日もらったCDを持って、母親が勤務先を変える度に転居を繰り返す事にようになる。 転校を繰り返すうち、いつしか私は、深い友達付き合いをしなくなっていた。  仲間外れにされるのが怖くて、いつも人の顔色を伺うようになり、人に対しても本当の自分を見せるのが苦手になっていた。  そんな私を変えてくれたのが、高校時代に出会った先輩だった。 彼から告白されて付き合ってはいたけど、浮気ばかりする父親を見ていたので、私の中で男性に対して不信感を持っていた。 そんな私に真正面からぶつかり 「お前の本音を聞かせろ!」 って、いつも私を真っ直ぐ見てくれている人だった。 彼のお陰で、人と壁を作っていた私がきちんと人と向き合うようになれたように思う。  でも……先輩に対して、人間的には好きでも異性として好きにはなれなかった。 キスまでは大丈夫だったけど、それ以上を求められても応えられず……。 その後ギクシャクしてしまい、そのまま別れてしまう。 祖父母の死、彼との別れ。 母親の都合で繰り返される転居と、それに伴う転校。根無し草のような生活に、私と母親との亀裂は修復出来ない程に深くなっていた。 孤独な日々の中、どんなに辛くても苦しくても、CDから流れてくるカケルさんの歌声を聴いていれば乗り越えられた。  そしていつしか、私にとってカケルさんの歌声が、唯一無二の心の拠り所となっていく。  そんなある日、突然、母親が再婚すると言い出した。 いつだって、「忙しい」と言っては私に背を向け続けた母親。  再婚相手とデートする時間があるのなら、何故、少しは私と向き合う時間を作ってはくれなかったのか?と反発した。 高校生にもなって、抱き締めて欲しいとかそんな事は求めてはいない。 ただ……少しでも一緒に食事をしたり、話をする時間を作って欲しかった。  祖父母が亡くなってから、私はいつも孤独だった。その孤独を抱えても道を外れなかったのは、カケルさんの歌があったからだ。 カケルさんの優しく包み込むような歌声に、いつも 「大丈夫だよ」 と、抱き締めて貰っているような感覚になって支えてもらっていたから……。 そんな私の気持ちも知らず、母親は自分だけ幸せになろうとしているのが許せなかった。 ましてや、今更新しい父親なんて……。 見ず知らずの男性と、ひとつ同じ屋根の下で暮らさなければならないなんて、苦痛以外無かった。 少しは私の気持ちを考えてくれても良いのに!と……、何度もそう思った。 せめて、一言くらい相談してくれたら……と、私は母親を憎んだ。 今思えば……当時、私も母親も余裕が無かったのかもしれない。 でも、ほんの少しでも……たった一言「相談したい事がある」と母親が私に相談してくれていたら、私達の関係も変わっていたのかもしれない。 結局、私が反発した所で母親の再婚話は勝手に進んで行った。 そして嫌々連れられた食事会で、母親の再婚相手が中学時代の担任の教師だと知る。 その事が、私の反発心をさらに煽る事になった。     私にはずっと「忙しい」と言って、育児放棄しながら担任と会っていたの? そう思ったら、母親と担任を許せなくなった。 私はその日、母親と元担任だった母親の再婚相手に対して 「2人の再婚は、勝手にすれば良い。でも、私はあなたの養子には入らないし、あなた達とは一緒に暮らさない」 と絶縁状を叩き付けた。  そして遂に、母親の再婚と同時に、私は都内の短大に入学して一人暮らしを始めた。  学費は祖父母が学資保険で学費を遺してくれており、生活費はアルバイトをしてなんとか生活をした。  親からの仕送りは一切拒否をして、苗字も母親の旧姓で祖父母の姓である「柊」のままにした。 短大生活は、学校とバイトに明け暮れ、同世代が煌びやかな学生生活を送る中、恋もせず、講義が無い日は1日バイトを入れた。 バイトは飲食店だったり、コンビニに本屋。 ティッシュ配りからテレオペと、ありとあらゆる分野のバイトをした。 その中で、自分には販売が向いていると考えて、短大卒業後の進路は量販店と決めた。 短大在学中に販売士3級を取得して、関西に本社のある赤ちゃん用品を扱うお店に見事就職が決まった。 全国に店舗がある中、偶然にもあの日、カケルさん達Blue Moonと出えた従妹のお姉ちゃんの家がある場所へと配属されたのだ。 伯母さんやお姉ちゃんは、伯母さん達の家に下宿して良いと言ってくれたけど、私はお店の近くにアパートを借りて一人暮らしを継続した。  研修期間中は、配属された店舗にある売り場を全部回り、店長がその人の適正を見極めて配属売り場が決められるシステムだった。     
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