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パリで赤い雪が降ることを知ったのは先日のことだ。
アフリカから気流に乗って飛んできた赤い砂塵。その砂粒が核となり、ほんのりと赤い雪を降らせるのだ。
すっかり忘れていたが、ボクは赤い雪を見たことがある。それも真っ赤な雪だ。ところがボクは、フランスに行った記憶がない。フランスどころか、海外旅行の経験さえないはずだ。
特養にいる母を見舞った時、ボクはその話を切り出した。
久々に青空が広がっている。
3日間降り続いた雪で、ラウンジから見える田園風景が、真っ白く塗りつぶされていた。雪で埋まった幹線道路を、除雪車が雪煙を飛ばしながら横切っていく。
「目が痛いわね……」
反射した陽の光が室内に差し込み、母が眩しそうに目を瞬かせた。
「ちょっと動かすよ!」
ボクは車椅子の押手を握り、母を窓辺から引き離した。
「フランスねぇ……。むかし住んでいたような気もするけど、よく覚えてないわ。」
来月喜寿を迎える母は、軽い認知症を患っていた。会話は成立するが、記憶の混濁があり、ときどき突拍子もないことを言うのだ。
「赤い雪ねぇ……。お母さんは見たこと無いけど、あんたその時、結膜炎だったんじゃないの?」
なかなかユニークな答えだ。
父が失踪した日も、朝から雪が降り続いていた。
毎日繰り返される借金取りからの催促。いま思い返せば、気弱な男だったのかもしれない。
「どいつもこいつも、オレのことを馬鹿にしやがって!」
その時のボクは、まだ小学生。顔さえ思い出せないが、酔っ払って暴れる父の姿を朧気に覚えている。
「そんなこと、あるわけないわよ……。お父さんは、優しかったのよ……」
母が覚えているのは、新婚当初の父の姿だ。
「それにお父さんは、病気で亡くなったんじゃないの!」
勘違いしているのは、去年急逝した叔父のことだ。母を葬儀に連れて行ったのはボクだから、その経緯は分かっている。その時も、父の名前を連呼しながら泣きわめき、参列者を大いに困惑させていた。
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