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「せっかちですね」
男の口から紡ぎ出される声は、甘いメロディーを奏でているように聞こえた。
「空腹ではありませんか?」
男が唐突に訊ねる。そう言われてみれば……。
「川を渡る前に、あちらでお食事を済ませましょう」
有無も言わさぬ物言いに、川を渡る? 渡るのか? 疑問に感じながらも男が指し示した先を見る。
そこに、川を目前にした古い洋館があった。赤い屋根、白い壁に絡まる緑のツタ……いつかどこかで見た絵本の挿絵に似た建物だった。
「紹介が遅れましたが、私はこの店『アテンド』の責任者、ナナシと申します」
男が恭しく頭を下げた。まるで西洋の騎士のように右手を胸に置いて……。
「アテンドはどのようなリクエストにでも忠実にお応え致します。ご遠慮なくお望みの料理をご注文下さい」
柔らかな笑みを浮かべているが、その物言いは自信満々だった。だが、嫌悪はない。男がそう言うのならそうなのだろう、と思わず頷いてしまった。
「では、参りましょうか」
男がおもむろに歩き始めた。何の疑問も抱かず後に続き、店に入る。
驚いたことに満席だった。
しかし、これだけ人がいるというのに騒がしさは全くなかった。
男は微笑みを携え、「どうぞ、こちらへ」と席に誘い椅子を引き、そして、問うた。
「ご注文は?」
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