高校時代に自殺を考えました

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高校時代に自殺を考えました

理由はどうあれ自殺はいけないと思うのです。後に残された者は生涯苦しむことになります。その昔、ある人気バンドのメンバーが亡くなって、若い女性ファンの後追い自殺が続出しました。死なれる方はたまったもんではありません。遺族から憎悪の目を向けられるのです。「娘の自殺はXXxXXのせいだ!」 メンバーは急遽緊急会見を開きました。 「お願いだから、これ以上●●(亡くなったメンバー)を傷つけるのはやめてくれ!」 悲痛な声明です。そりゃあそうでしょう。 「●●のせいでお宅の娘さんは亡くなったですってね」 「XXxXXに殺されたようなもんよ」 「殺人バンドがのうのうとTVで歌ってるよ」 そんないわれのない中傷を受けなければならないのです。それでなくとも自分たちのファンが減ればバンドメンバーは悲しむでしょう。 では、どうすればよかったのかと言うと、「死にたい」と誰かに相談すれば良かったのです。 場合によっては受診も必要でしょう。人は一人では生きていけないと言います。 同様に、人は一人では死んでいけないのです。死ねば遺体が残ります。それだけはありません。警察や救急に通報したり、諸手続きを第三者がやらねばなりません。 終末期における安楽死は別に議論するとして、自分から積極的に命を絶つなどあってはならないのです。 偉そうなことは言えませんが、私は中学にあがる前に自殺を考えたことがあります。制服という名のジェンダーの押し付けが受忍限度を超えていたのです。 動脈を切ろうとしていた所を見つかって、こんこんと説教をされました。 死ぬこともままならないのか、と中学三年間は抜け殻のように生きていました。 転機は高校にあがって同級生の女の子と仲良くなってから訪れました。 コミュニケーションのツールとして西洋占星術に出会ったのが良かったのかもしれません。私には巫女の才能があったらしく、クラスメイトの子を鑑てあげるとそれなりの的中率を発揮し、重宝がられました。 そればかりでなく、多少の霊感もあり、それが創作に活かされています。小説を書くという趣味も高校時代に開花したものの一つです。 あの時、自殺が成功していたら今の私はなかったことでしょう。
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